12/4第10回生物多様性協働フォーラムin大阪のご報告
2016年12月4日、「生物多様性のためのソーシャルデザイン『協働のしくみのつくり方』」と題して、第10回生物多様性協働フォーラムが開催されました。
IUCN日本委員会は後援、にじゅうまるプロジェクトでポスター展示を行いました。にじゅうまるメンバーも展示しており、にじゅうまる認定証があったり、にじゅうまるメンバーであることを表示したり、にじゅうまるの輪が少しずつですが広がっていることを実感できました。当日はグランキューブ大阪の特別会議場が300名以上の参加者で、にぎわっていました。
まず初めに、兵庫県立人と自然の博物館の中瀬館長より開会挨拶があり、続いて、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの西田さんからフォーラムの趣旨説明がありました。「カンクンでの生物多様性条約COP13の開会の日と重なり、COP10から6年が経過した今、私たちは・・・」とお話がありました。
個々の活動を結び付け、分野を横断して相乗効果を発揮できる「協働のしくみ」をデザインしマネジメントすることが求められている現在、いくつかの事例紹介の後、パネルディスカッションで生物多様性問題での協働におけるガバナンスのあり方について議論されました。
京都大学総長で長年ゴリラの研究をされてきた山極壽一先生が「アフリカ熱帯雨林における生物多様性保全の実践」と題して基調講演されました。
~個人メモより概要を記します~
伐採、採掘、内戦、温暖化などに直面するアフリカ熱帯雨林で、地元の人々にとって生きることが第一で、ゴリラを守ることは優先順位が低い中で、一緒にゴリラ研究をしていたダイアン・フォッシー博士が殺害され、彼女の死後に誓ったことは以下の2つ。
・現地の研究者を育てて、一緒に調査をすること
・地元主導のゴリラと人の共生を目指すこと
また1992年にポレポレ(スワヒリ語で「ぼちぼち」)基金を設立し、植林活動、学校建設資金にあて、次世代を育成することに力を注いで、まずしたことは、子どもたちにゴリラを見せることでした。しかし、1996年に内戦が勃発し、ゾウ、ゴリラが密猟により激減。観光客が減って外貨収入が減り、国立公園内でも法を無視して、密猟が悪化するという悪循環に陥った。内戦が終わると、徐々にゴリラの数も増加したが、保全のためには何が必要なのか、住民の生活調査を実施して、動物たんぱくと燃料が絶対的に足りないことが明らかになった。
その結果をもとに、家畜プロジェクトと植林プロジェクトが始まった。2001年からは、屋久島でエコツーリズムのシンポジウムを開催し、現地の人々を招待して、交流を図っている。寄付集め目的のカレンダー販売も実施している。2009年からは、JICAの協力でガボンでゴリラを中心とした生物多様性保全と国の収入向上をテーマに活動。住民の能力向上のために研修を実施し、地元の人々と共に広域調査を行った。科学的知見に基づく住民参加型のエコツーリズムのため、エコツーリズムのガイドブックを作成し、日本でのガボン人研修プログラムを用意した。
~~メモ終わり~~
まとめとして、「次世代につなぐ協働は、1)科学的根拠、2)知識の共有、3)豊かな未来、4)世界への発信という4つの柱を組み込んで、自然から学ぶことを忘れずに、進めることが重要である」と締めくくられました。
二人目のスピーカーである兵庫県立人と自然の博物館の橋本さんからは、生物多様性の協働のために必要なことは、オーケストラで始まる前に行う「チューニング」のように、最初に共通の認識(基準)として、生物多様性情報、観察記録だけでなく標本や写真などを共有することが重要であると指摘があり、関西広域連合と三田市の事例紹介がありました。
続いて、島谷先生からは、「自然再生におけるソーシャルデザイン」と題して、これまでに関わってこられた沢山のプロジェクトでソーシャルデザインの課題は、まず課題が明確でないと始まらないのは言うまでもないけれど大事であり、対象とする社会のスケールを把握し、対象とする時間は、すぐには成果は期待できず、数年たつと一旦低下する傾向があり、定着するのには10~20年かかること、対象が広くなればなるほど、関わる人も多くなるので問題が起きやすいことが挙げられました。
そして、分散型の水管理を通した風かおり 緑かがやく「あまみず社会」の構築までの事例紹介がありました。子供から大人まで多面的で重層的であり、空間を越えた仕組みが必要とされていた中で、雨水教育をあまみずタメルンジャーや東京と地方の中学生交流を行ったり、ミズベリング樋井川という名前で、7月7日七夕の日に、川辺で乾杯しようというハードルを低く皆が集まりやすい企画をしてみたり、、、と、まずネーミングと取組やすさが大事だなぁと改めて思いました。
その他、アザメの瀬は住民参加型で、140回も非固定メンバーの会議が行われ、研究の場所として使われるように設定されたこと、また、朱鷺の自然再生では、最初農家にとっては害鳥であった朱鷺を、朱鷺のくる田んぼで採れたお米というブランド米として売り出し成功。いまや朱鷺がふんじゃった米というお米も出てきているという優良事例が紹介されました。
最後の講演者、青山大の古橋教授からは、「オープンストリートマップ」という聞きなれない言葉でしたが、みんなでつくる地図のことで、ハイチ地震や熊本地震など災害後にはすぐにオンライン上で地図が出来上がり、ボランティアでリアルタイムに更新されていたという説明がありました。マッピングパーティと呼ばれる、地元の人々と歩いて地図をつくる試みもあるそうです。オープンストリートマップを使ってできることは、例えば、国立公園を抜粋するなど、可能性は無限大。次世代のマッパー育成のために、小学生でも参加でき、マッピングパーティなどを続けることの大切さであり、一億総伊能化をめざしてがんばっているとの発表でした。
休憩をはさんで、パネルディスカッションも行われました。
コーディネーターは大阪自然史博物館の佐久間さんで、7人のパネリストで進行されました。まず初めに、大阪自然史センターが東北の再開支援の一環として行っているこどもワークショップについて西澤さんから話題提供があり、協働のコツとしては、「同じビジョンを共有し、細かいことには拘らず、人々を巻き込んでいくこと。夢は小さく次々と叶えるようなよい循環を生み出すこと。」さまざまな苦労も重ねられたことが感じられるお言葉でした。
次に、平成24年に設置された大阪生物多様性保全ネットワークの経緯や街と里の連携推進のための地域循環共生圏形成にむけた活動は全国で35か所あり、大阪では吹田市と能勢町の人とモノの交流活性化などの事例紹介もありました。それから、京都リサーチパークは、大阪ガス製造所跡地の再開発事業で設置され、レンタルオフィスや研究者誘致(ウェットラボ)、会議室、データセンター、ゆとりの共有部があることなどが紹介されました。数十人しかいなかった雇用者が現在では4500人にもなり、ブラウンフィールドのイメージから脱却し、生物多様性に配慮した再開発事例の一つといえます。
島田先生からは「協働における活動メリットの明確化が一番大事で、難しいわけですが、中学生が「朱鷺のくる田んぼにしたい」と言ったことがきっかけで朱鷺のブランド米が生まれたことを例に、昔がたり(年寄りから歴史は学び)、夢がたり(次世代を巻き込んでどうありたいのか、したいのか未来への想いをぶつけあう)、そして現状に戻って取り組むと成功する率があがる」、また「チームを作る時には、各世代に入ってもらい、代表を複数にすることが肝心」とのご発言もありました。
地図は、今現在を描くものであり、過去はデータの蓄積であるが、未来は描けない・・・しかし、マッピングの可能性はいろいろ。山極先生からはいろんな生き物のマッピング、とんぼから見た世界やゴリラから見た世界なども作ってほしいなぁというアイディアも出されていました。
協働のデザインは、連携の機会、コーディネイト人材、価値評価の活用が重要であり、時間はかかるものとして取り組まなければなりません。これまでの9回の生物多様性協働フォーラムと今回で連携の機会を作ってきましたが、今後も企業としてできることを続けていきますと西田さんからの決意表明もありました。また、子供たちへの生物多様性教育も、学校教師など教育者への生物多様性配慮の研修などが必要であると会場からのコメントもありました。
今回、異分野のマッピングについてのお話は、新たな可能性が感じられ、今後の展開が楽しみです。にじゅうまるプロジェクトも2017年度は、にじゅうまるCOP3を計画しています。より良い連携がたくさん生まれる機会にできたらと考えています。詳細が決まり次第、お知らせいたします。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
(にじゅうまるプロジェクト事務局 石黒)